アレクサンダー・テクニークの学びの中で、「のぞみ・願い・情熱」はとても大切なキーワードとして扱われます。私自身も、学びを深める中で何度もこの言葉に立ち返る機会があり、そのたびに自分が本当に大切にしたいことや、心の奥にある小さな願いに触れるような体験をしてきました。
けれど、日々の忙しさや「やるべきこと」に追われる中で、自分の本当の気持ちに目を向ける余裕を失ってしまうことがあります。あるいは、本当に自分がのぞんでいること、もしかしたらそうしたいと思っている奥深くの思いには気づかないこともあったり、本当ののぞみであるほど気づかなかったふりをすることも…。そうした状態が続くと、自分の「のぞみ」に対して鈍感になっていく感覚もあり、いつの間にか「のぞみに気づけなくなっていた自分」に気づくのです。
2024年4月から2025年3月までの1年は、私にとって「自分との信頼関係を取り戻す1年」とも言えました。そして、自分の気持ちに改めて向き合う時間となりました。日常の中でふと湧き上がる「こうなったらいいな」「こんなふうにできたらいいな」といったほんの小さな気持ちにも、意識的に気づきながら過ごせたように思います。
20年前の経験と再び向き合うこと
大学3年生のとき、大きな本番で演奏に失敗した経験があります。
演奏がはじまってから交響曲が終わるまでの84分間、ただひたすら、
- 「息が吸えない」
- 「ハイトーンが出ない」
- 「こんなはずじゃなかった」
…と、つらさばかりが募る本番でした。そして、ただ演奏がうまくいかなかったというだけでなく、自信を失い、深く傷ついた体験でした。多くの時間と労力を積み上げてきたからこそ、その出来事は私にとってとても大きなもので、以後その時に演奏した曲を聴くことを避けていました。(実際、痛みが強くて実は長い間、聴くことすらできませんでした。)
本当は魅力を感じ、心から惹かれていた作品だったはずなのに、その曲は長らく「痛み」の象徴のようになってしまったのです。気がつけば、15年近くその曲に触れることを避けて過ごしていました。
そんな中、2025年3月にその曲を、同じ会場で演奏する機会が巡ってきました。知らせを受けたのは、2024年の3月のことです。
最初に感じたのは喜びではなく、「ついに来てしまったか……」という戸惑いや不安でした。
- 「まだまだ準備が足りない」
- 「もっと時間があれば挑戦できたかもしれない」
- 「やりたい気持ちはあるけれど、今はまだ無理だ」
そんな思いが心をよぎり、「やらない」という選択肢こそが、1番現実的なものとして自分の中に浮かびました。
けれど、その選択をしようとするたびに、どこか心の中に晴れない感覚が残りました。
できない自分と向き合う日々
「本当は挑戦したい気持ちもあるはずのに、あまりに怖くてできない」——。
そんな葛藤の中で、2024年の春から夏にかけて、私は少しずつその曲のほんの1フレーズを演奏するチャレンジを積み重ねていきました。
- 1対1で人に聴いてもらう練習
- 少人数の中でその曲を一緒に練習する
- アレクサンダー・テクニークのグループレッスンで演奏
- ワークショップやパート練習、合奏でのソロ練習
- 少しずつ聴衆を増やしながら、できる限り場数を踏む経験
けれど、小さな場面でも体が震え、呼吸ができなくなり、緊張に飲み込まれるような感覚はなかなか抜けませんでした。チャレンジするほどに「やっぱり自分には無理なのかもしれない」と落ち込んでしまうことが続きました。
痛みを感じるような経験は誰にでもある。頭ではそうわかっていても、「だれでもそういう曲ってあるものだよ」「みんなもそういう経験ってあるよ」という言葉をかけられると、どこか傷ついてしまうこともありました。
どんな痛みもその時の経験も、そして向き合ってきたプロセスも、本来その人固有のもので、似たような経験であっても唯一無二のものだからです。私にとっては、その失敗の記憶も、そこから感じた感情も、向き合っていく過程も、自分にとっての唯一無二のものだったからこそ、だれにでもあることだという言葉にモヤモヤしていたんだと、あとになって気づきました。
「やる」と決めた日
最終的に「挑戦する」と決めたのは、3月の本番が決まってから半年ほども悩んだ秋のことでした。
その決断を後押ししてくれたのは、ある方のこの言葉でした。
「今は、
“本番の自分”を信じられなくても、
今、“挑戦したい”と思っている自分だけは、
信じてあげてもいいんじゃない?」
日々、練習を積み重ねながら考え抜いた半年間、その言葉に触れた瞬間、ふっと何かが吹っ切れたように感じました。
「どうなるかわからないけれど、今もう一度挑戦してみたい」というものすごく小さな心の声を、自分自身が大事にしてあげよう。自分以外、だれが大事にできるんだろうか。
すごく勇気が必要なことでしたが、それはまさに、自分の“のぞみ”と真正面から向き合うということだったのだと思います。
20年越しの再挑戦 vol.1 ーのぞみと向き合うということー
20年越しの再挑戦 vol.2 ー決断と日々の試行錯誤ー
20年越しの再挑戦 vol.3 ー本番の舞台で見えた景色ー
20年越しの再挑戦 vol.4 ー本番で発揮できた集中力の理由ー
20年越しの再挑戦【総集編】大曲に向き合った1年間