自分の音がいやでいやで仕方なかったときに前に進めた3つの理由

アレクサンダー・テクニーク

自分の音がいやで仕方なかった低迷期

長らく、自分の音がいやでいやで苦痛で耐えられなかった時期がありました。

正直、本当の意味ではまだ抜け出し切れていない感じもあります。

ただ、二度とこの状態から抜け出せないんじゃないかと落ち込んでいた日々を思えば、今はずいぶん前に進むことができました。

楽器をやる人の中には、少なからず同じような気持ちを抱えている方もいるかもしれません。

この記事では、具体的にどんな方法で前に進むことができたか、書き留めていきます。

苦痛で耐えられなかった【以前】と変化が起こった【今】

たくさんある中で変化したことをピックアップするとこの3つ。

  1. 音の聴き方が以前と変わったこと
  2. 今の自分が音を出してもいいと許してあげられたこと
  3. 楽器で音を出すときの選択肢が増えたこと

自分が変わっていくための大事な3つの要素となりました。

変化のきっかけとなった3つのこと

アレクサンダー・テクニークの師匠のひとりである嶋村順子先生に個人レッスンを受けていたときの出来事です。

音の聴き方が変化したきっかけ

 その当時、個人練で自分ひとりしかいない空間ですら、自分の音を聴くのが苦痛で仕方なくなっている頃でした。 

発している自分の音の汚れ方がいやでいやで仕方がない。

恥ずかしい。

恥だ。

個人レッスンを受けるのも本当はすごく勇気がいる。

・・・

そんな時に、順子先生がかけてくれた言葉はこんな言葉でした。

「この部屋ねぇ、よく響いて気持ちいいよ。吹いてごらんよー」

「・・・」

 部屋に音が響いて気持ちいいだなんて。その時はさっぱり忘れていた考えでした。 

空間認識の大切さ と 意識と行動の” クセ “

前に倍音の記事でも書きましたが、音の正体は波で、空気を伝わっていくものです。部屋の中で吹いていれば、壁に当たって跳ね返ってきた自分の音が聴こえます。

思い返してみるとその当時の自分は ベルから出る音そのものに嫌悪感がありすぎて、部屋から返ってくる音には一切意識がいっていませんでした。 

音が汚い ⇨ 聴くのがいや ⇨ 聴かない

一連の意識と行動がまるっとクセとなり、習慣化してしまっていたように思います。

「何度も吹いていたのに全然気づかなかったけど、この部屋ってそんなに響くんだ」

 空間そのものを意識に含めて、跳ね返ってきた音を聴いてみると、驚くほどの変化がありました。 

すっとストレスなく音が鳴ったということ、そして自分が思っていたよりも響きや余韻が豊かに感じられました。

今の自分が音を出していいと許可してあげられたこと

なんでそんなにも自分の音を聴くのが嫌だったのかを思い返してみると、特に自分の音の出だしがどうしても許せなかった。

汚く感じて仕方なかった。

今、振り返って分析してみるとわかるんですが、出だしが嫌すぎてそのあとの音はろくに聴いていなかったんだろうなと思います。

レッスンでおそるおそる音を出してみると、やっぱりイマイチな音が出ました。

その時すかさず、順子先生がいってくれた言葉。

「あら、いい音!」

「・・・」

いやいや、嘘でしょう、とも思って受け止められず、 でもすごくあたたかく体に響いた言葉でした。 

少なくともそんな風に自分の音を肯定してあげたことはここ数年で一度もなくて、結構な衝撃があったことを鮮明に覚えています。

そのときの自分は、正直とてもいい音だと思えなかったけれど、「そっか、音、出してもいいんだな」とようやくそう思えました。

 許してあげられた、という感覚でしょうか。 

常時戦闘体制から安心して音を出せる環境へ

レッスンの中では、いつも「安心安全」というワードが出てきます。

 生徒が思い切っていろんなことを試してみるには、心からの安心安全が本当に大切だということです。 

自分は音を出すときに常に戦闘体制でした。読んで字のごとく、常に闘っていました。

何と闘っていたか。

自分の中でうるさく騒ぐ、自分の音をことごとくダメ出しする自分自身と、です。

うるさく騒ぐ、ことごとくダメ出しをする自分自身との闘いについては、別のレッスンでの大きな気づきもあるので、また記事にしていきます。

順子先生は、私の頭の中に黒くうずまく全否定感情をきっとみてくれていたんだと思います。

 ここは安全だよ、という姿勢を先生自身がずっと示してくださったことが、当時の自分が前に進むための大事な一歩となりました。 

この時のレッスンでの体験は本当に大きくて、今私自身が誰かをサポートするときの根幹にもなっています。

楽器で音を出すときの選択肢が増えたこと

これは、アレクサンダー・テクニークを楽器にいかすことによって起きたさまざまな変化がもたらしたものです。

アレクサンダー・テクニークを学んでよかったことのひとつに

 自分自身で確立させてきた吹き方や方法から、良い意味で逸脱できるようになったこと 

があります。

つまり、今の自分の奏法を変化させるためのアレコレを手に入れた!というような感じです。奏法を手に入れたというよりは、自分でおもしろがって試してみることができるようになったという感じでしょうか。

振り返ってみるとそれまでも、次はこんなことを試してみよう!とアレコレ試しては、うまくいった・うまくいっていないと検証するタイプではありました。

学生の時はそれでうまくいっていたんですが、社会人になって徐々にバランスが崩れ始めました。

今、振り返ると理由がわかる気がするんですが、学生の時に当たり前のように使えていた筋肉バランスが変化しているにも関わらず、あの時のように吹こうとし続けたことが1番の原因じゃないかと思っています。

試してはみるけど、常に結果を出すことに注力していた過去
試してみて、思った通りの結果が得られてもそうじゃなくても全部情報を集めている!とおもしろがっている今

演奏しやすさに断然変化が出てきています。

選択肢があるということは =動きやすさにつながります。

ここ数年のアレクサンダー・テクニークの学びの中でたくさん体感してきたことです。

おもしろがって試すことは幸せな変化のプロセスだと知った

学生の時にはできたのに、吹けなくなってしまった…

社会人になってしばらくは、そんな悲観的な思いにさいなまれていたのですが、ここ数年でずいぶん変われました。

なぜかというとおもしろがれるようになってきたからです。

おもしろくなってきて、アレコレ試してみると、ふいに手応えがある瞬間がでてきました

今までの自分だったらやっていなかったこと、例えば

  • 思っているより、マウスピースを左側にあててみようかな。(え、こんなに左…?やりすぎじゃ?…いや、意外と音の反応いいんじゃない?)
  • めっちゃやる気なさそうな姿勢で吹いてみたら、どうなるのかな(ありゃ、息が使いやすいぞ…?)
  • トランペット、横向きにして吹いてみる?いっそ上と下、逆にする?(構えの意外なクセを発見!)

周りから見たらヘンテコなことや些細なことも含めていろいろ試してみます。

意外と体の使い方や構え、アンブシュアなど、今まで固執していたことにするっと気づけたりします。

まだまだこわいけど前に進めている手応えもある

今でも音がいやになったり、昔からの習慣に気づいて呆然とすることも多々あります。

今でも音のコントロールがうまくいかなくて、悩んだりすることももちろんたくさんあります。

正直にいうと、前よりも吹けるようになった感じがするぞ!とさらけ出すことにこわさもあります。

でも、こうやって探求を続けていく限り、どんどん形を変えながらおもしろくなっていくんだろうなという確信もしています。